運動クラブりずむです♫
3月、色々と不安定な時期です。
先日、医師免許を取っても医師として不適合で医師として働けない人が多いと言う記事を読み、才能も生かし方を間違えると苦しむモンなんだな、とあらためて思いました。
その記事によると、中でも東大の医学部には桁外れの頭脳を持つ発達障害とも言われる人たちがいて、得意な部分(この場合は勉強)だけに取り組んだ結果、ストレートで医師免許を取得するも、患者やチームとコミュニケーションが取れず、医師として現場で上手くやれずに不適合者の烙印を押されている、と言う内容の記事でした。
患者とコミュニケーションを取りながら患者とその家族にも寄り添い、一緒に治療方法を決めたり、他職種とチームで治療を進めるチーム医療が当たり前になった今、コミュニケーションが苦手なばかりにせっかく取った医師免許をいかせずにいるのだそうです。
たいていの人は国家試験に受かる事だけを目的に医学部で学ぶわけではないし、資格コレクターでもない限り、医師免許を取得したあとは医師として働く事が目的なはず。
コミュニケーションが不要で頭脳のみが求められる仕事はAI(人工知能)がやる時代だから人でなくてもよくなるし、すでに医療における画像診断はAIの方が上とのこと。
人間力のない人はどんどんAIに仕事を奪われていく時代だと関連記事も隅々まで読みました。
《得意なところを伸ばす》今やどこでも聞かれる周知されたワードで、ストレングス視点やリフレーミングと言った考え方を私たちは当然として仕事をしている。
けれど、何かを選択するとき、現実と自分自身をしっかり照らし合わせて知る必要があるんだと思う。
もし我が子がコミュニケーションが苦手で人と関わることを避け、将来医師になりたいと言って得意とする勉強を一生懸命ひたすらにしているとしたら…
『あなたは勉強が得意なんだから勉強だけしていればいいのよ。』
とは絶対に言わない。
人と関われる方法を一生懸命あれやこれやと悩み考えるんだろうと思います。
それしか出来ない、のと
それがしたい、のとはちがう。
その道しかないから選択した、のと
その道を希望して選択した、のとはちがう。
それしか知らない、のと
それをも知っている、のとは違う。
本当の選択とは自分自身とその他を知った上で選ぶものだと私は思っている。
1つしか知らないのは選ぶとは言わない。
障がいがあってもなくても選択の幅は人それぞれなのは当たり前。
自分サイズで良いから選択が出来る人でいたいし、子どもたちにもそうなってほしいです。
アルバムの前に、先週のビジョントレーニング勉強会♪
27日(火)もお待ちしております♪
アルバムはもうしばらくお待ちください(´ー`)
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